「持続可能な恋」を非常に楽しく最終回まで見てしまった。
『よしりん辻説法』で「恋愛論」を描いているので、若い
脚本家の「恋愛」に関する感性を勉強したくて、こういう
ドラマも見るのだ。
感性が古くなってしまったら、もうダメなのだ。
世の中の男性(若者も中年も老年も)凄まじく感性が
古くて、時代の綱渡りが出来ずに、谷底に落っこちて
しまっているような奴がいる。
中には女性だって感性が古くなりすぎて、古生物になって
しまっているような奴がいる。
そういうのが男系固執派になっているのだ。
高市早苗も、稲田朋美も、同じ!古生物。
一方でヒステリック・フェミは慎重にわたるべき綱を、
バランス棒を使わず、走って渡るので、やっぱり谷底に
転落してしまっている。
漫画家や脚本家は時代と格闘しているから、ドラマを
どこに着地させるかに相当苦労している。
恋愛ドラマは少しづつ変化してきている。
「持続可能な恋」は父と娘がそれぞれ結婚できて、
ハッピーエンドになったが、微妙に男女の仕事や
生き甲斐を損なわないような結婚の形式を見つけ出した。
父の方は週末婚のようだし、娘の方は男女の役割を
固定させない結婚を選んだようだ。
ただし、やはり「結婚」というゴールにしなければ、
ハッピーエンドにならないという結論だったようだ。
視聴者は、わしも含めて、やっぱり恋愛ドラマならば、
ハッピーエンドを望む。
そうでなければストレスを感じる。
だが、韓国ドラマで大ヒットした「愛の不時着」は
結婚という形式で終わらなかったのに、ハッピーエンド
だったことを思えば、どうやら韓国ドラマは侮れない
地点まで進化してしまったのかもしれない。
何で儒教の封建的な感覚がしつこく残存している韓国で、
あんなドラマが作れたのか不思議だが、南北分断を
乗り越えられない宿命こそが、あんな幻想的なハッピー
エンドを創作するしかなかったのかもしれない。
恋愛論も、国家観や、歴史観や、実存から思想すると、
なかなか面白い観点が次々出てくるので、描いていて
飽きない。